今年でプロ28年目を迎える工藤選手です。(今回は編集部よるインタビューです)
工藤選手は「考える力こそ最強の武器」とおっしゃっています。
普段からどんな事を考えながら野球をしているのか?独占インタビューしてきました。
野球を始めた時から考えてプレーしていた
- 著書の中で「考える力」について語られていますが、工藤さんにとって考えるということはどういうことなのですか?
工藤選手: 「考える」とは、たとえば野球を始めて外野手や内野手やピッチャーをどれかやる上で、「どうやったらボールを遠くに投げられるか?」などを考える事です。
僕は野球が嫌いだったので、より少ない時間で上手くなりたかった。覚えた時間の残りは遊びに使おうと思っていました。だから、いかに楽にボールを遠くに投げられるかということを考えていましたね。。
小学生、中学生は(遠くに投げられる)力がないですから、どうしたら上手く体を使って投げられるか。プロの選手の投げ方やその解説を見て、プロの選手は体をこう使っていると知って、自分で試してみる。そこで、感覚的に自分に合うかどうかを考えていました。
例えば「この人は背筋が強いからこういう投げ方ができる」とか、「あの人は下半身が強いからできる」とか、「あの人は上半身の力があるからあんな投げ方ができる」とか、そういった解説を見ながら、今、自分の背筋は強くはないけれど、その人が元から背筋が強くてそういう投げ方を身につけたわけではなく、そういう投げ方をしているから背筋がついたのだから、こういう投げ方をすればどの筋肉が強くなる、という漠然とした考えの中で、「自分だったらどうするか」を考えていましたね。
そして、シャドーピッチングをしながら、どこが似ているのだろう、似せるにはどういう使いかたをすればいいんだろう、自分に合うのだろう、を考えました。
- ということは、少年時代は仮説をたてながら、実行していったわけですね。
工藤選手: そうですね。
- 解説者の解説と違うことを発見した事もあるのでは?
工藤選手: はい、解説者が考えていることに対して違いを感じた時は、自分の感覚に従う時もありました。今なら、当然自分がやっていて力の流れというものがあるし、それをどうやって最終的に集約していくかが、わかるのですが、その時は何となく考えていましたね。つまり、力で投げるのではなく、力を使わずに楽に投げる、嫌いな野球だけに楽にいい球を投げたい。楽に速い球が投げたい。そういうところから、力の使い方を考えました。
- 野球嫌いの副産物ですね。「考える」ということが習慣としてあったのですね。
工藤選手: 習慣としてあったわけではなく、そうすることが良いと思っていました。僕は小学生の時は人に教わるということが嫌いでした。やんちゃ坊主だったということもあったし、負けず嫌いでした。自分で何とかしてやろうという気持ちがありましたね。
- もともと、自分で考え行動するという部分があった。
工藤選手: そうですね、自立ではないですが、幼い頃からの環境がそういう性格を作ったのかもしれないですね。しつけじゃないのですが、早くから自分でものを考えることが身に付いたんだと思います。
高校時代
- 工藤さんが高校進学を考える時は、将来を考え、名古屋電気高等学校(名電)を選んだのですか?
工藤選手: 名電を選んだのはただ単に、名電の監督が(僕が言ったわけではないですが)「僕の事を県内の中学で三本の指に入るピッチャーだ。」と聞き、一度うちの練習を見に来ないかと誘ってくれたので、練習を見に行き、決めました。
それに僕は親から特待生でなかったら中学卒業後は働くように言われていました。お前はお金のかからない県立高校ならなんとかしてやれるけど、それ以外だったら働いてくれと言われていました。まぁ野球しかなかったのもあるし、特待生で授業料免除、全寮制といわれていたので入りましたね。
- では野球を通して何かを成し遂げたいという考えは?
工藤選手: なかったですね。入った頃の一年生なんて僕らの時は虫けら同然の時代でした。(笑)試合で投げられるようになって初めてそういった将来が見えるようになりました。それまでは全然。どう就職するかだけです。大学は全く考えていなかった。社会人野球にどうやったら入れるか。ある程度成績を残して評価されなくてはいけないとは思っていました。
- なるほど、ぼんやりとは描いていたのですね。
工藤選手: えぇ。そうなればいいな、くらいですが。まぁそれなりに各大会である程度はやれましたけど、だからといって自分が評価されているとは思っていませんでした。
三年生の夏に、県大会で優勝して、甲子園に出て、これでどうにか就職できるかもしれないなと思ったくらいです。(笑)プロは考えていなかったですね。
- 高校時代、工藤さんの練習を「考える」という意味で、高校時代の練習はやらされているものでしたか?それとも(自主的に)考えるものでしたか?
工藤選手: やらされている練習です。自分たちが最上級生になって初めて自分がやる練習がありましたけど。ほぼやらされる練習ですね。「学校から寮まで走れ」と監督にいわれて毎日走ったりしていましたね。
- その当時は練習に対する目的というのは?
工藤選手: 全然ないですね。ただやらされていました。二年生の夏の終わりからですね。その時に本当の自分の練習ができましたね。
当時はコントロールが悪く、(二年生の)最後の夏もフォアボールとかデッドボールとかで大敗しました。
そういう教訓もあり、コントロールを良くする為に、10メートルの距離からキャッチャーの構えるミットまで10球連続投げられるようになったらもう2歩下がって、また10球投げられるようになったら、という練習を延々とやっていました。
- 10メートルというと18.4メートルの約半分からということですね。
工藤選手: えぇ。そのぐらいの距離から10球投げられるようになったら2歩下がって。
- それは工藤さんが考えられた練習方法なのですか?
工藤選手: 練習に来ていた、九州で女子のソフトボールをみているというおじいちゃんが、「ボールはそんな遠くから投げても入らん。前ぇ行け。そこから投げろ。」と言われてはじめましたね。
秋から冬にかけてそういった練習をして、春になった時には、18メートルのピッチャーの距離からストレートでもカーブでも構えたところに10球投げられるようになりました。そういう教えられて良いなと思った練習は、自分たちが三年生になってからの練習ですね。それまではやらされている練習でした。
- ということは最後の一年間は、今までしてきた、考えて練習する習慣が活きていますね。
工藤選手: そうですね。僕はほぼ野球を教えてもらった経験がありません。高校時代に1つ、2つぐらいです。
中学生の時は、ピッチャーというものは足を上げて、下ろしながら花が開くように手がびゅうっと広がっていかなければいけない、という事を習いました。
高校生の時は、目の前に椅子があったとして、その椅子にお尻からぐ~っと座る感覚で投げる、という事を習いました。それぐらいですね。
- おそらくその間にいろいろなことが情報として入ってくると思うのですけれども…
工藤選手: 僕らの時は、情報はないっすよ!(笑)一年生の時なんかは必死に生きていくので精いっぱいで。情報をもらってとか、今みたいにパソコンやインターネットがあってという時代じゃないですしね。携帯電話ですら誰も持ってなくて、公衆電話の時代ですからね。
一生懸命やる事
- なるほど。当然現在とは環境が違いますね。ここ数年、高校球児の人数は増えています。部活動の継続率も上がっていると聞きます。
(参考資料: 一年生がその後進級して三年生になった時の残留の割合である継続率 平成元年 74.5% 平成10年 77.9% 平成20年 82.2%)
工藤選手: やめる事自体は大きな事ではないけれど、その後の人生がどう変わってしまうかを考えると大きいものかもしれません。
野球はしょせん野球であり、スポーツのひとつです。
極める事も大切ですが、すべての人が極められるものでもありません。
人生の中で、スポーツをやってきたことをどう活かしていくか、という事が大事で、そこに「継続する力」や、「自分が嫌な事に対しても立ち向かっていく」事が養われると思います。
世の中には理不尽なこともある、しかしそこから逃げ出していいのか、と。そこが問題だと思います。
大人と子どもの狭間の中で、早く大人になりたい半面、大人から見ればまだ子どもという時期の中で、本人の意思が示せるか示せないかにかかってくると思いますよ。
僕も今息子と娘がいますが、「何かをやるなら自分で真剣に、一生懸命にやりなさい。一生懸命やって駄目だったらいいよ。違うことやって構わないから。ただ一生懸命やらずに、あれが嫌だから辞める、これが嫌だから辞めるのではいけない。それが上手になったり自分で好きになったりすることであるならば、いくらでも協力してあげる。でも一生懸命やらないのだったら協力しないよ。」と(言っています)。
- 一生懸命やった上で判断するということですね。
工藤選手: えぇ、自分の意思を先に示さないことには、その後がないので。やりたいのかやりたくないのか。わからないけど何となくやっている事が成功するはずがないですよね。それがその先の自分に活きるとも思いません。
- むしろその時間が勿体ないですよね。
工藤選手: だから、その時間を充実させたいのなら、自分の意思を示しなさいと。その上でどうしたらいいかわからない場合はアドバイスもするし、その先にどういう方向で行きたいかを考える場合は、世の中はこうなっているよと教えるし、トレーニングを教えてほしい場合は、今はこんなトレーニングがあるよと教えます。
工藤選手の情報の消化方法
- プロに入ると、いろいろな情報が入ってくると思いますが、いったんそれらの情報をどう自分で消化していますか?
工藤選手: まずはやってみて、ダメだったら、無理に取り入れない事です。
- まず自分でやってみると。
工藤選手: やらない限り、分からないですよね。
例えば、プロのピッチングコーチがこう言っている。それならまずは試してみて、上手くいかなかったら「他に方法はありませんか?」と聞くべきです。
僕にはその人のそのやり方が合わないかもしれませんから。
また、トレーニングや大学の研究など様々な情報も野球に関連付けて考えています。
体の使い方を知る
工藤選手: 僕は、投げる動作が運動力学でどう体が使われるのかを知る事が重要だと思います。
どのくらい関節や骨や筋肉の生まれ持った強さがあるのか、どのくらいの瞬発系の割合があるのかという事を計算するのは難しいですが、関節がしっかりしているから筋肉で動かした時により大きな力になる、という仕組みを知れば、選手が求めるものにも応えやすいのだと(思います)。
壊れないようにもできると思うし、壊れた時にはどういう動きをしたから壊れたのかが分かります。
- 人間本来の仕組みを理解するということですね。
工藤選手: そうです。例えば、本来、野球をしたら人間の体は壊れるようになっています。人間の体は肩から上で物を投げるようにはなっていないんですよ。
何故チンパンジーの握力が100~150㎏なくてはならないのは、木の上で生活しないと生きていけないからなのですが、だからといって腕が太いわけじゃないですよね。
どこが強いかというと肩です。人間は(猿から)進化して人間になったといいますが、進化したのは脳から上だけですよ。
- むしろその下は退化ですよね。
工藤選手: 肩甲骨って、解剖してみるとわかるけど、ぺらぺらなんですよ。唯一太いところが肩甲棘という部分です。肩甲棘上筋・肩甲棘下筋、この棘に対して上腕骨頭がまっすぐはまっているのが ゼロポジション というフリーの状態です。そこで回旋運動が起きても壊れません。
長い間続けていると、だんだん壊れていったりします。鍵盤にしても関節唇にしても傷んだり壊れたり。上腕骨頭は小さい頃に無理をすると、欠けたり、亀裂骨折とか腱の部分からはがれる剥離骨折が起きるのです。
では何故、剥離骨折が起きるのかというと、今の子どもたちは、体は大きいですがそれに骨の成長・強さが伴っていない。骨密度が少ない。だから体に無理がかかる同じ動作を続けていると、投げ方が悪いというのもありますが、そこに負担がかかり、腱や筋肉ではなく骨が剥離してしまうんです。
普通だったら腱や筋肉が切れますが、くっついている骨の部分が弱いからそこが剥離するんです。剥がれたり、欠けたりするんです。だから僕は野球教室では無理のでない練習方法を子どもたちに教えているんです。
- その為にも自分の体を理解するために勉強する事は重要ですね。
【用語説明】
※「ゼロポジション」…「肩甲骨の棘突起と上腕骨の長軸が一致した状態」と定義され、その角度は肩のラインから見て約60度であると言われています。60度になった時に、肩甲骨のでっぱりと腕のラインが一致するということです。
この体勢は元々インドの整形外科医が1961年に考え出したもので、「肩周辺の筋収縮力が均等になり、自発的な筋力発揮では回旋運動が不可能になるポジション」です。
回旋動作が不可能になるとはつまり、この体勢にある時肩甲骨が周りの筋肉にバランスよく支えられ、位置がロックされます。そのためこの位置で腕を旋回させようとしても肩甲骨が支えるため、筋肉はしなりを受けずに済む、つまりもっとも肩の筋肉がしならずにすむポジションであると言われます。
※関節唇…股関節内の柔らかい組織 関節窩の周りの繊維軟骨性の部
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